高砂神社能舞台の鏡板の松(影向の松)を描く(後編)
自宅で能舞台の鏡板の松を描きました。(2013.8.18に描き終わりました)
とても貴重な機会で、高砂の方々に愛していただける「松」になるよう、松を育てるように描きました。
「松」が大好きな高砂の方々が「松」をとても大切にしておられることを強く感じながら描きました。
高砂にゆかりのある地の土や石を用いて「高砂ならでは」の松を描いたつもりです。
時を重ねた後の未来の高砂の方々にも大切にされ、愛されることを願って描きました。
⇒ ⇒ ⇒ 能舞台の鏡板の松の制作風景は、 「鏡板の松の制作」編 へ
高砂神社能舞台の「竹」「能舞台の完成」編
◆ 「松」ができました。(8月3日) → 松の完成
◆ 「竹」ができました。(8月18日) → 竹の完成
◆ 「鏡板」を送りだしました。(8月26日) → 鏡板、送りだし
◆ 新能舞台の竣功祭が行われました。(9月16日) → 竣功祭
◆ 高砂観月能が行われました。(10月19日) → 観月能
●「松」ができました。(8月3日)
●「竹」を描きはじめした。(8月5日)
稲荷山の石を粉にして直接下描きをはじめました。
年を重ねた「松」に比べ、「竹」は若く、陽気な印象があります。
「自分が折れる不安をまったく感じていない竹」を描きます。
●竹の位置取り〜塗り重ねています。(8月6日〜14日)
小さな下絵をつくりましたが、下絵とは無関係に線を引きはじめました。
斜めになりすぎないように、曲がりすぎないように、意識しました。
各々の葉は、一枚でも立派であるように大きめに描きました。
稲荷山の石の粉を塗り重ねてオレンジ色っぽい下地をつくり、
出雲の稲佐浜の浜砂の粉(黒っぽく見える部分)を塗り重ねていきます。
途中、奥の葉を追加して、豊かに茂っているようにしました。
その上に緑。緑の部分は、色にムラなどの変化が出来ないように塗り重ねました。
●「竹」ができました。(8月18日)
色々な砂と緑青をあわせて濃淡のある緑色をつくりました。
お気軽に、立派に伸びた竹になるように色を重ねました。
孟宗竹がモデルですが、節と節の間の距離は長くしました。
奥にある竹の葉は出雲の稲佐浜の浜砂の色です。
(2013.8.3)「松」ができました。
(2013.8.18)「竹」ができました。
●鏡板を送りだしました。(8月26日)
とてもとても暑い毎日が終わろうとしていた八月の終わりの早朝に
「松」と「竹」をのせた鏡板を送り出しました。
トラックに乗った松の梱包に、小さな御幣のついた榊を付けて見送りました。
10時には高砂神社に無事についたそうで、大きくひと安心です。
「松」がいなくなった家はすこし雰囲気がかわりました。
「松」が嫁ぎ先でがんばってくれることを信じて、かしわ手を打って送りました。
●高砂神社能舞台の「松」と「竹」に使用した土や石や砂たち
乳鉢で粉にしてニカワ(接着成分)をあわせて自家製の絵具になります。
ご紹介いたします。
上段の左から、高砂神社境内の土、加古川の砂、阿蘇山の石です。
中段の左から、稲荷山の石、住吉大社近くの小石、出雲の稲佐浜、伊豆の戸田の浜砂です。
下段の左から、相模湾の大磯の浜砂、天橋立の砂、くじゃく石(緑青・購入品)です。
「鏡板の上で永い時間がんばれ!」と伝えて、塗り重ねました。
● 筆たち
主に用いた筆たちです。 筆は先端を少しカットしてから使います。
(その方が、泥水状の自家製絵具が塗り易いためです)
土や石の粉を塗り重ねる中で、ザラザラな画面に削られて、
筆たちはすり減り、色々な形になりました。
● 乳鉢と乳棒たち
主に用いた乳鉢と乳棒です。
たくさんの石や砂を粉にしてくれました。
乳棒は短くなり、乳鉢には底が削れて薄くなりました。
加古川の砂は固い成分が入っているように感じました。
「松」を描く時に使っていた乳棒(写真手前)は新品(奥)と比べると、
長さが2.5cmほど短くなり、すり減りました。
乳鉢と乳棒、とても良くがんばってくれています。
●鏡板が高砂神社新能舞台に納まりました。(2013年9月9日)
暑さも落ち着いて、飛行機雲と青空の下で取り付けられました。
鏡板の裏の桟木を削ったりして、奥行き、納まりの調整を何度も繰り返し、
「松」と「竹」が納まりました。
全体像をみたのは、この時が初めてで、松が舞台に清らかに座って居るのを感じ、安心しました。
鏡板の左端に使用した主な土と石の名前とサインを入れました。
●新能舞台の竣功祭が行われました。(2013年9月16日)
午後の2時から高砂神社新能舞台の竣功祭が無事に行われました。
高砂の方々の想いが境内に満ちて、とても華やかな、厳粛な、よろこびの時間が流れました。
台風の後の青い空と風、変化する白い雲、刻々とかわる光、樹々の上の鳥たち。
高砂の方々も数百年後の人たちに「たくす」ことを強く意識しておられました。
観世流能楽師の上野朝義さんが、お面掛け神事を奉納されました。
他に平安雅楽会の舞楽が披露されました(上の写真)。
"高砂や〜、この浦舟に帆を上げて〜、この浦舟に帆を上げて〜"の『高砂』の大合唱
はとても感動的で、「高砂は未来も高砂であり続ける」と確信しました。
●竣功祭の一週間後の新能舞台の松
落ち着いた境内の空間にしっかりと能舞台がありました。
「松」を初めて正面から見ました。
松は竣功祭の時と少し印象が違うようにも見えました。
より強く、より落ち着いて、より静かに、座って居るように感じました。
●高砂観月能が新能舞台で行われました
2013年10月19日、旧暦9月の満月のもと高砂観月能が行われました。
小雨まじりの空でしたが、ツツミがよく響く中、
雲の間からは満月がチラリと見えた瞬間もありました。
お能の高砂は特にすばらしくゾクゾクとするくらい感動しました。
自分に「松」を描かさせて頂く機会を頂けたことに感謝しながら、
「松」が十分に役目を果たしていることに、心が満ち、心が軽くなり、
「無事に描き終えた」ということをこの時はじめて実感しました。
支えてくださったたくさんの方々に強く感謝しております。
高砂の地にも強く感謝しております。
お能が舞われた後の松と能舞台
『高砂がこれからも高砂でありつづけますように。』
『高砂がこれからも豊かで清らかでありつづけますように。』
「高砂の方々に永く愛されますように。」
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お立ち寄り下さり、本当にありがとうございます。
更新 2013年10月5日
つちといし 福井安紀